飛鳥板蓋宮は、皇極天皇が643年に遷った新宮で、その後大化改新の幕開けとなる蘇我入鹿暗殺が行われた場所でもあります。
 中大兄皇子と中臣鎌足らは、時の権力者である蘇我入鹿暗殺を謀り、645年(皇極天皇4年)6月12日朝鮮三国が調を奉る儀式に乗じて、この宮の内で入鹿を討ち果たしたと伝えられています。多分に潤色があるでしょうが、「日本書紀」にはこのクーデターの場面がつぶさに書かれています。(関連史料のページへ
 飛鳥板蓋宮跡伝承地は現在は井戸の跡を中心に石敷遺構が復元整備されています。しかし近年の調査により、ここは3時期の宮殿遺構が重なっており、T期は舒明天皇の飛鳥岡本宮、U期が皇極天皇の飛鳥板蓋宮、V期は斉明、天智天皇の後飛鳥岡本宮と天武天皇の飛鳥浄御原宮であるという可能性が強くなっています。(参考文献:2004年4月17日奈良県立橿原考古学研究所刊行「天武・持統朝 その時代と人々」)




平成11年5月3日撮影

by 飛鳥みわ
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