飛鳥の石造物 奈良大和路


弥勒石
弥勒石弥勒石
 真神原の西を流れる飛鳥川の東岸に位置する石柱状の巨石。石には仏顔面もほとんどないが、わずかに目と口とみられる部分が細工されている。
 弥勒石を拝むと下半身の病気が治るという言い伝えがあり、今も地元や周辺の人々の信仰を集めるとともに、「ミロクさん」と呼ばれている。
 毎年旧暦8月5日に飛鳥大字がお祭りを行っている。
■平成12年5月4日撮影■


亀形石造物
亀形石造物
亀形石造物
 斉明朝(594〜661年)に造営された設備跡とみられる、明日香村岡の「酒船石遺跡」の丘陵に囲まれた谷部分から発見された、亀形と小判形の石造物。導水構造を持つ精巧な造りで、両側には石垣が組まれ、石造物を囲むように石敷きされている。
 用途は不明。ここが祭祀場所であったのか供宴に使われた苑池であったのかも不明。ただ、日本書紀の斉明二年(656)の記述と酒船石遺跡との関連性が強まっている。
→関連史料のページ
■平成12年5月4日撮影■


酒船石
酒船石
 昔、酒の醸造に使用されたという言い伝えから「酒船石」と呼ばれているが、ほかにも、油を絞ったとする説、古代の水占を行ったという説、曲水の宴の誘導施設とする説、ゾロアスター教の密議に使う薬酒を作ったとする説、砂金などの精選に用いたとする説、人身御供の生贄台とする説など、諸説出されているが、いずれとも定め難い。
■平成12年5月4日撮影■


マラ石
マラ石
 男性器を模したもので本来は真すぐに立っていたともいわれている。地元では、飛鳥川をはさんだ対岸の丘陵を「フグリ山」と呼び「マラ石」と一対のものと考える説もある。
 子孫繁栄や農耕信仰に関係した遺物と考えることもできよう。
■平成12年11月5日撮影■


二面石
二面石
 橘寺境内にある。
 右善面、左悪面と呼ばれ、我々の心の持ち方を現わしたもので、飛鳥時代の石造物の一つである。
■平成14年9月21日撮影■


三光石
三光石
 橘寺境内にある。
 聖徳太子勝鬘経ご講讃の時、日、月、星の光を放った、という。
■平成14年9月21日撮影■


亀石
亀石
亀石 亀石と呼ばれる石造物は、いつ何の目的で作られたのか明らかでないが、川原寺の四至(所領の四方の境界)を示す標石ではないかという説がある。
 また、伝説もある。
 むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻にとられてしまった。湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまった。何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したそうである。
 今、亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという。
■平成14年9月21日撮影■


鬼の爼・鬼の雪隠
鬼の爼鬼の爼
 鬼の爼・雪隠は、封土を失った古墳の石室であり、もとは花崗岩の巨石を精巧に加工した底石・蓋石・扉石の3個を組み合わせたものであった。いまは、底石(爼)と蓋石(雪隠)だけが分離して残っている。大化2年(646年)の薄葬令の規制に合わせて作られている。霧ヶ峰と呼ばれるこの一帯には、鬼が住み通行人に霧を降らせ、迷ったところをとらえて爼の上で料理し、雪隠で用を足したという伝説がある。
上の写真が鬼の爼・下の写真が鬼の雪隠
■平成14年9月21日撮影■
鬼の雪隠鬼の雪隠


猿石
猿石猿石
猿石
 高さ一メートル程の四体の石造で、それが猿の顔に似ていることから猿石と呼ばれている。
 現在、吉備姫王(孝徳天皇と皇極天皇の生母)の墓域内にあるが、元禄十五年(1702年)十月十五日に梅山古墳(欽明天皇陵に治定)の南側の字イケダの水田より出土し、一時欽明天皇陵の東側に置かれていたが、江戸幕末頃に現在の場所に移転されたと見られている。
猿石猿石
■平成14年5月5日撮影■


以上、解説文は、現地の解説板を参照しましたが、亀形石造物・酒船石・猿石は明日香村のホームページを参照しました。




by 飛鳥みわ
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