645年に始まる大化改新の推進者である中大兄皇子と中臣鎌足は、この飛鳥寺(法興寺)の境内で出会ったと伝えられています。槻木の下、蹴鞠をしていた中大兄皇子の靴が脱げたところ、中臣鎌足がその靴を拾って皇子に捧げたことがきっかけで二人は知り合い、それから共に学び親しくなったと、「日本書紀」に書かれています。
 また、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち果たした直後、中大兄らは飛鳥寺を軍営としたとも記されています。飛鳥寺は飛鳥板蓋宮のすぐ北にありました。(関連史料のページへ


飛鳥寺境内。今は安居院本堂があるのみ。
■平成12年1月2日撮影■


蘇我入鹿首塚
 安居院本堂の西側には、蘇我入鹿の首塚といわれる五輪の石塔があります。
 これは鎌倉時代のものと推定されていますが、大化改新の際も暗殺者の佐伯子麻呂らがなかなか斬りかかれなかったと「日本書紀」にあるように、蘇我入鹿は恐ろしい力を持った魔人であり、切られた首が飛び跳ねたり御簾にかみついたりしたという伝承が後世に語り継がれ、そうした人々の入鹿への恐れから、この石塔が入鹿の首を埋めた塚とされたようです。
(背後は蘇我氏の邸宅があったとされる甘樫丘)
■平成11年5月3日撮影■


甘樫丘から望む飛鳥寺
■平成11年5月3日撮影■



by 飛鳥みわ
ホームページ 
http://hp1.cyberstation.ne.jp/asuka-miwa/